人と話す。…最高の夜でした!
雨後のスズキ釣りは2回続けてホゲったので意気消沈(泣)「ちょっと休憩!」っと昨日はお世話になっている江坂のライブバー・ツインリバーブのマスターとママを誘って夕方から僕の大好きな鶏料理店「八起亭」へ。コロナ事情後久々に来ましたが店もお味も変わりなく最高でした!「タケダサロン見てますよ!」っと若旦那。ありがとうございます!たらふく食べて僕よりはひと回り上のマスター&ママとの会話を楽しんで店を後に。来年はオープン10年を迎える「ツインリバーブ」楽しみにしてますので!
そのまま帰宅?っと思ったけれど気が向いたのでいつもの屋根裏バー「dotch(ドッチ)」へ。平日の静かなバーでビバップを聴きまくります!店内には男性二人。そのうちのお一人は顔見知りの中村さん。御年89歳! 気品があり温厚で音楽好きでお酒好き。何とも軽く飲まれる感じがまた360度育ちの良さが隠せない粋な方です。コロナ対策で窓を開けサーキュレーターも全開のなかここからは中村さんとのトーク。もう何度もお会いしてますがこれほどじっくりとお話しすることは初めてで僕も興味津々。「ちょっと飲んでるんで言いますけど…」っと恥ずかしそうに話してくださいます。「名付けて中村さんナイト」!
まずは音楽について。僕の演奏も何度かご覧いただけてるのでありがたいことに僕のドラムも褒めていただきましたがその言葉に感動。「僕はずいぶんと長く長唄や小唄も習っててジャズはそれほど聞かへんけれども歌も演奏もその人の「想い」が「所作」になり「音」になる思いますねん。話は変わるんやけど今のお人はお昼のお弁当を食べる時にでも「さぁ食べるでぇ!」っとばかりに慌ててガサガサとした所作・音になりますんやけど昔の人はまずは「食べさせていただきます」と感謝して「いただきます」というような雰囲気がありましてそういうことが所作や音にも表れますなぁ。つまりは「気持ちが表れる」ということ。いい楽器を弾こうが上手く歌おうとしようが結局はその人の奥底にある「気持ち」が大事だという事。話を聞く僕は感動でじわーっと体が震えました(笑) 「若いころはよく歌舞伎を見に行ってまして、そこで長唄(長唄の基本は歌舞伎のBGM、小唄は宴席の余興唄として発展したものと説明くださいました。)を習うようになりました。」っと中村さん。長唄:小唄…僕には未知の世界ですがこの「所作」と「音」の話を聞くと日本古来の芸能には日本人が持つ精神や息遣いが感じ取れます。
いきなり素晴らしい話ですがこの中村さん、何が凄いかと言うとこれまでの趣味や実績が凄すぎて…!高等学校在学時に美術部に居たそう(これって恐らく終戦直後くらいな話?)で卒業後は美術部仲間と個展を始めたり、50歳から日本画に目覚め現在89歳になるまで4か月にひと作品ずつ、年に3点の作品を書き続け更にすごいのはその数百点にも及ぶ作品はかつて一度も人様には見せていないという…。日本画は一点50号(聞き間違えてたらすみません)サイズという直径1m以上もある作品。「僕は小さい所にいっぱい描く絵はあきませんねん。大きなキャンバスに想いの絵をかいて出来上がると「仕上がった」という充実感がおますなぁ。それがよろしいかと思います。飲んだついで何で初めて他人様にはいいますけれども「茶道」も長いことしてまして….まぁ、シャカシャカっとお茶立てて飲むだけなんやけどまぁ色々あります(笑)…恐るべし。
浄瑠璃(じょうるり)の話…。「僕が働き出して若いころはしょっちゅう大阪・船場にあった「人形浄瑠璃」へ行ってましてね、これがまた和歌山から行くと当時の大阪・船場なんちゅうと町も人も華やかで浄瑠璃劇場(小屋)には大勢人もいて特に着物姿の粋な姉さん方が来るとつい見とれるほどきれいでね!あのうなじからキリっとでる色香が若い僕には何とも言えん…!浄瑠璃にもちょいちょい行ってるとそのうちに酔うたせいもあって半分目ぇつぶって寝ながら浄瑠璃芝居を耳で聴いたりしてね、雰囲気みたいなものも良かったです。…その後浄瑠璃は国立劇場に変わりましたけど全然違うもんになりましたなぁ。今国立劇場で見ておられるお方は僕らとはずいぶん違いますなぁ。」…聞いているだけで当時の情景が映画の様に僕の目にも移りましたがこの話は僕にも響きます。ホールコンサートで聴くジャズと同様「そら違うわな?」(笑)。演奏、特にジャズはやっぱりジャズクラブで見て聴くのが一番!浄瑠璃から始まったこの話、これからの時代にはとても重要な事だと思いました。大衆芸能・大衆音楽は野暮ったい芸術や無意味に高貴なものにしてはいけません。とてもいい話をきかせてくださいました。
登山の話!…「こう見えて若いころは登山もしてまして…」っとまさかの中村さん!若い頃って昭和20年代?「汽車に乗って和歌山から大阪、そして冨士吉田まで、そこからバスでふもとまで、「そんな時代に富士山登山とかできたんですか?」…「ホンマにひと握りやったと思いますけどありましたわ。テレビで見たりすると登山道は変わって無さそうやけれども今のお方は5合目からでっしゃろ、僕らは三3合目からスタートしますねん。8合目まで3きたら山小屋に泊まって小さな湯呑みに入れてくれるいっぱい五十銭(今でいうと700~800円くらい)のお茶を「高いなぁ?」っお思いながら飲んで翌日頂上を目指しますねん。当時見た御来光はそれは素晴らしかったけどもう今はさすがに登れませんわな(笑)その他各地の山を登り関西ではあの「大台ケ原」にも行ったという….昭和20年代の大台ケ原って!!!!!原野やん(笑)。「当時は装備とかあったんですか?」…「さすがに登山靴は買いました。あと今でいうカッパは陸軍の払い下げのようなものを着て登りましたなぁ」(*綿です!)もちろん当時は捜索隊なんかありませんので道に迷うたら終わり(笑)…。趣味とはいえあまりに怖すぎます!
「あいまい」!…。 最後に昨今の事情、世界情勢やコロナ事情などの話もたくさんさせていただきましたが、中村さんはひとこと「あいまいがよろしいなぁ。」っと…。「あいまいというのが日本人の持ついい精神や思います。」このいい意味でのあいまいさを日本人各自が理解して世界の人達にも伝えられればきっと平和になるやも知れませんなぁ? …..僕は目が潤むほど感動しました。社会経済やコロナ問題、日本人のアイデンティティー、基本的な人の暮らしや交わり。「あいまい」…僕の言葉では「まぁええやん」(笑)広き良き心を持って「まぁええやん」と思えればこれからの世の中も直面する自然や釣りを取り巻く様々な諸問題も克服できるんだと思っちゃいました(笑)
中村さん89歳!気品が漂い賢く粋でおもしろく…こんな人が父親やったら僕の人格どうなってたやろ?っと楽しくも羨ましい気持ちになって深夜のdotchを後にしました。ありがとうございました。来年90歳を記念に初の「個展」開催しましょう中村さん!お手伝いさせていただきますので!
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